プリンシパル エージェント。 エージェントと構造 プリンシパル=エージェント関係

エージェントと構造 プリンシパル=エージェント関係

プリンシパル エージェント

慶應義塾大学環境情報学部卒業。 在学時には、小売り・ITの領域において3社を起業。 2004年から、マッキンゼー・アンド・カンパニーの東京およびフランクフルト支社に在籍。 2008年に同社退職後、オックスフォード大学サィード・ビジネススクール、立命館大学経営学部を経て、2016年から現職。 博士(経営学・オックスフォード大学)。 専門は国際化戦略。 著書に『領域を超える経営学-』、共編著に『マッキンゼー ITの本質』(以上、ダイヤモンド社)、分担著に East Asian Capitalism: Diversity, Continuity, and Change(Oxford University Press)などがある。 フランス国立社会科学高等研究院の日仏財団アソシエイト・フェロー、五常・アンド・カンパニー社外取締役、アピリッツ社外取締役、およびユーザベース社外監査役を兼務。 なぜ、同じ「経営」をテーマとしながらも、経営の実務と学問としての経営戦略の間には、これほどまでに大きな隔たりが存在するのか。 本連載では、長く実務の世界に身を置きながら、学問としての経営学を探究し続ける、慶應義塾大学准教授の琴坂将広氏が、実務と学問の橋渡しを目指す。 第10回は、人間の本質をより深く掘り下げる。 「人間は合理的である」という前提に疑問を投げかけることで、経営戦略を現実の組織でいかに浸透させるかの議論を進める。 は、数値管理をどのように考えればよいかについて、管理会計を源流とする考え方からひも解いた。 これは全社の目標を財務的、非財務的数値に落とし込み、それを因数分解して組織の隅々まで接続することで、数字を軸に組織を一体化させることを目的としていた。 今回は、もう少し「人間」に着目してみたい。 経営戦略を実行するのは、最終的には(いまのところ)人間である。 我々がどのような意思決定を重ねているのか、そして、それをどのように方向付ければよいかを考えることから、経営戦略を浸透させるために必要な土台、土壌について議論する。 ただし、それはあまりに深遠なテーマであり、すべてを語り尽くすことは不可能である。 今回はあくまでその導入として、組織を研究する際に理解すべき基本的な概念に触れ、近年研究が進むセンスメイキングや新制度派組織論などを簡潔に紹介する。 そのうえで、マネジメントからリーダーシップにその焦点が移り変わる、現代の組織管理について考えたい。 完全に合理的な意思決定はできない 人間は、みずからの行動をどのように決定するのだろうか。 この根源的な問いに対しては、さまざまな角度から多様な調査研究が進んできた。 紹介した管理会計の系譜とともに、戦後、急速にその研究が進んだのが、組織論や組織行動論と呼ばれる研究領域である。 これは組織が人間の行動にどのような影響を与えるのか、また反対に、人間の行動の集合体である組織がどのように行動するかを探究する学問領域である。 この研究の最初の礎を築いたのは、経営学のみならず、多様な研究領域に影響をもたらした、ハーバート A. サイモンの論考であろう。 サイモンはそれまでの経済学が前提としていた「合理的」な人間像を現実に照らし合わせて発展させた。 遡れば、 で紹介したフレデリック・テイラーや、エルトン・メイヨーの研究は、このさらに上流に存在する。 同様に、チェスター・バーナードによる『The Functions of the Executive(経営者の役割)』(1938) [注1] は、経営組織を個人の協働によるシステムとして捉えた優れた作品であり、サイモンの理論構築に大きな影響を与えている。 サイモンが1947年に出版した『Administrative Behavior (経営行動)』 [注2]は、彼の博士論文を原典として、それ以降における、自身の研究の礎となる作品であった。 この作品は、人間が「合理的」であることは否定しないものの、人間は完璧ではなく、その認知能力、処理能力、持てる時間に制限が存在するがゆえに、人間は限られた合理性しか持ちえないと説明する。 これは「限定合理性」と呼ばれる人間の一つの本質である。 彼はこの概念を主軸とした組織の意思決定プロセスの研究などから、1978年にノーベル経済学賞を受賞している。 サイモンは、これまでの組織行動に関する議論が、人間一人ひとりの意思決定の特性を十分に勘案しておらず、また、それぞれにおける相互の関係の分析が、職能や権限により規定される公式の組織構造の分析に過度に依存していると批判した。 彼は、組織を限定合理的に行動する人間が役割を分担して相互関係を持つシステムと捉えた。 その行動は、人間の意思決定の特性と、相互の関係の特性に左右されると主張する。 つまり、人間は完全に合理的な意思決定をすることはできない。 限られた時間で、限られた情報を前提に、しかし合理的に最善な答えを探し求める。 人間は最高の答えに至ることはできず、常に最善な答えをもとに行動を決めているという。 また、人間同士の関係はそれぞれのコミュニケーションと関係のパターンによって確立され、公式の組織構造のみでは、その特性を完全に捉えることはできない。 組織の行動はより複雑な調整のプロセスにより決定されており、その調整のプロセスが個々人の意思決定を統合し、より高次元の意思決定を可能にするとサイモンは言う。 サイモン自身も、合理性では説明しがたい要因が人間の行動に影響を与えることは否定していない。 心情であったり、倫理観であったり、そうした価値的な要素も、人間の日常の行動には大きな影響を与えうる。 しかし彼は、組織に所属し、その枠組みの中で活動する人間は、組織がその行動を制約するがゆえに、より合理的に行動する人間となるという。 すなわち、経営人あるいは組織人としての人間の行動は、一定の合理性の上に成るという解釈が可能である。 組織は人間の合理性の土台となる。 組織の諸制度が個人の価値的な要素を束縛し、個人の行動の選択肢を制約する。 さらに、多数の人間による調整のメカニズムが、個々人の価値的な要素を相互に中和することで、組織内の個人の集団は限定合理性を持つ意思決定を下すようになる。 この前提に立てば、経営者の重要な役割の一つは、経営戦略を実行に落とし込むために、自社の組織に参画する人々が、限定されているとはいえ、合理的な意思決定の結果として、組織の目標達成に資する意思決定と行動をとるように組織を整備運営することである。 で議論したように、実行と成果に至らない経営戦略に意味はない。 したがって、人間の集合体である組織をどう方向づけるかは、経営戦略の領域でも大きな関心事である。 こうした人間の行動の特性を理解せずして、経営戦略の実行は成果に結びつかない。 現代の経営戦略は、サイモンが議論したような組織内部の特性までを取り扱う。 実行と成果につながる経営戦略の特性を探究し続けた結果、その研究の潮流は、戦略と組織の接合点までを扱うようになったのである。 これは経営戦略研究の学会である「ストラテジック・マネジメント・ソサエティ」のカンファレンスのテーマとなるなど [注4]、多様な研究者を惹きつけている [注5]。 このように経営戦略研究も、組織内部の要因や、個人の特性を無視できない時代を迎えたのである。 エージェンシー理論は何をもたらしたのか 一定の合理性を持つ人間の組織内の行動を分析し、その行動特性を理解することから組織運営の最適解を導く。 それをどのように行えばよいかは、多様な角度から探究されてきた。 特に、限定合理性を持つ人間という前提から、この問いを探究する最も大きな潮流は、エージェンシー理論であろう。 エージェンシー理論は、経営組織をそれに参画する主体同士による契約関係の集合体と捉える。 この理論は、当初、株主と経営者の関係 [注6]を取り扱うことから形成が進んだが、現在では、経営者と従業員の関係 [注7]や従業員同士の関係、そして、その他の利害関係者との関係性までを取り扱う理論体系へと成長している [注8]。 この理論は、プリンシパル・エージェント理論と呼ばれることもある [注9]。 なお、委託する主体をプリンシパル、委託される主体をエージェントとして、この両者の関係をエージェンシー関係と呼ぶ。 エージェントはプリンシパルに対して特定の業務を行う契約を結ぶが、必ずしもこの両者の利害が完全に一致するとは限らない。 また、プリンシパルとエージェントが持つ情報量には格差が存在するため、より多くの情報を持つ主体は、より情報を持たない主体に対して優位に立つ傾向がある。 そのため、この両者の契約に伴って各種の問題が発生する可能性が生じ、それに伴う費用が経営組織の形態に影響を与えると説明する。 たとえば、エージェンシー理論で頻繁に扱われる問題は、アドバース・セレクションやモラル・ハザードと呼ばれる。 アドバース・セレクションとは、エージェントが不都合な情報を開示せず、プリンシパルがそれを知らずに不都合な契約関係を結んでしまう問題である。 モラル・ハザードとは、プリンシパルがエージェントの行動を完全には管理監督できないことから、エージェントがプリンシパルにとって不都合な行動をとる問題である。 経営者は、できる限り従業員に働いてもらいたい。 しかし、従業員は必要以上に働きたくはない(利害の不一致)。 経営者は、できる限り従業員の業務を管理しようとする。 一方で、従業員の行動を完全に把握することは難しい(情報の非対称性)。 経営者は、できる限り売上と利益を成長させたい。 しかし、従業員は予算を達成すればそれ以上に努力をしたくはない(利害の不一致)。 経営者は、膨大な数値情報を限られた時間で処理しなければならない。 一方で、本当に重要な現場の情報は一人ひとりの従業員が握っている(情報の非対称性)。 エージェンシー理論は、組織運営において避けて通ることのできないこうした問題の悪影響を、モニタリング(管理)とインセンティブ(報酬)の二つの側面から軽減しようと説明する(図1)。 図1:エージェンシー問題への対処例 出典:筆者作成 単純化すれば、モニタリングは情報の非対称性を軽減させる取り組みであり、インセンティブは利害の不一致を軽減させる取り組みである。 これは、 解説したバランスト・スコアカードや、KPIの設計と運用にも通じる要素がある。 モニタリングにしても、インセンティブにしても、ある程度以上を仕組みに落とし込み、それを組織的かつ継続的に行うことで、合理的に行動する人間の特性を組織的に誘導することが一定程度は可能となる。 もちろん、モニタリングの仕組みも、インセンティブの仕組みも、組織が目指す方向性にひも付いていなければならない。 社員一人ひとりを信頼でつなぐ組織を目指しているのに、過度に社員の行動を管理し、日々の行動を報告させるような組織では、社内の信頼はなかなか醸成されない。 顧客満足度を最優先にしているというのに、勤怠評価や報酬制度が売上げのみにひも付いているのであれば、顧客満足度をないがしろにして売上げを追い求める社員が増えても不思議ではないだろう。 限定的であるにせよ、人間が合理的な選択をして、行動をとることを前提とするのであれば、当然その組織のあり方も、組織の構成員が経営戦略の方向性に照らして合理的に行動する形へとつくり変えていく必要があるのだ。

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部下が上司の期待通りに働かない理由

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モラルハザードの意味というと日本では「モラル」の「ハザード」、つまり倫理観の欠如や道徳的な節度がない、といった意味で覚えている人が多く、実際にそういった使用例がとても多いです。 しかしこれは日本で醸成された独自の意味なので、海外ではそのような意味では通じません。 モラルハザードとは元々は保険業界の専門用語で、現在では金融・経済その他の分野でも使われています。 モラルハザードの本来の意味は人間の倫理観の問題ではない モラルハザードの本来の意味は、「危険を避けるために手段やシステムを整えたのに、そのことで人の注意力が下がり、危険のリスクが高まって規律が失われてしまうこと」です。 例えば「保険や保障に入ることでリスクを回避しようというインセンティブがそがれる」という、セーフティネットが抱えるシステム上のジレンマもその意味に含まれます。 日本で定着している使用例のような人間の倫理観の問題ではありません。 元々の意味は故意の悪事に対して生まれた言葉 ちなみに、モラルハザードという言葉は元々、「火災保険を自宅にかけてその家を自分で燃やす」というような故意の行為に対して生まれた言葉でした。 モラルハザードの具体例とは? モラルハザードの意味はお分かりいただけたでしょうか。 では、モラルハザードの具体例を見ていきましょう。 医療保険は、大きな病気や事故などをした時に保障してくれるものです。 しかしモラルハザードとして考えられるのは、そういった保障があることによって、健康管理への意識が低下してしまう状態です。 医療保険に入ったからといって、安心しきってはいけません。 この例はよく使われていますが、先ほどと同様、自動車保険に加入することで危険な運転をしてしまうなど、運転中の注意が欠如してしまうことも、モラルハザードといいます。 自動車保険でのモラルハザードに関しては、事故率が高くなるため注意しなければなりません。 体調が悪いと、病院へ行って診察を受けますよね。 その際、病院では保険証を提示しなければなりません。 保険証があると、受診しても自己負担が軽減されます。 この点を逆手にとって、ちょっとした病気でも病院を受診してしまうのです。 これも、モラルハザードの具体例として挙げられています。 モラルハザード対策の「インセンティブ契約」 このようなモラルハザードを防ぐために、例えば保険の世界では被保険者の保険加入情報の透明性を高める義務条項を定めたり、日本の政治の世界では、政治家が官僚の作成した法案への拒否権を行使したり、官僚人事への介入を行なったりしています。 また、一般の雇用関係における「インセンティブ契約」も、エージェントのモラルハザードの回避策の1つとして意味があるのです。 モラルハザードの具体例から「安全対策が起こす危険のリスク」が本来の意味 モラルハザードの本来の意味は、「セーフティネットがあることで人の注意力が下がり、危険のリスクが高まって規律が失われること」です。 例を挙げると、「車の保険に入ったことで事故への危機意識が下がり、事故のリスクがあがる」などです。 また医療保険に加入したことで健康管理を怠る、保険料の自己負担が少ないため些細な症状で病院を受診する、などの例が該当します。 日本での使用例と違うモラルハザードの本来の意味を理解し正しい使い方をしてください。 こちらもあわせて読みたい!.

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本人(プリンシパル)の意向に反した時、代理人(エージェント)は首を切られる : 古村治彦の酔生夢死日記

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プリンシパル・エージェント問題とは 突然ですが、コーポレートガバナンスの分野にプリンシパル・エージェント問題なるものがあります。 プリンシパル=依頼人(株主) エージェント=代理人(経営者) プリンシパル(株主)とエージェント(経営者)の利害が対立するという問題です。 株主は出資するお金はあるけど、会社を経営する能力も時間もありません。 そもそも数百万円しか出資してない少数株主は、自ら経営を担うインセンティブもありません。 そこで、CEOやその他経営幹部を雇います。 優秀な専門家に経営を任せます。 その代わり多額の報酬を支払います。 アップルのティムクックCEOの経営者報酬は10億円を超えます(ストックオプション加味すると100億円超)。 経営者は株主利益を最大化するために意思決定する義務があります。 莫大な報酬をもらって(委任)契約を結んでいるわけだから当然です。 しかし実際は、経営者が常に株主のために行動するとは限りません。 株主利益よりも、自己利益や名声を優先させるリスクがあります。 なぜなら、株主は経営者を十分に監視できないからです。 CEOの体内にICタグと盗聴器でも付ければ四六時中監視できるかもしれませんが、そんなことしたら誰もCEO職を引き受けてくれないでしょう。 日本人株主が米国企業の経営者を監視するのは、物理的にも不可能です。 私はアップルの株主ですが、ティムクックCEOの普段の行動、経営判断なんて全く知りません。 ニュースで知れる範囲までです。 ゼネラルエレクトリック GE のCEOを15年以上務めたジェフ・イメルト氏は、出張の時はいつもプライベートジェットを使っていたそうです。 しかも驚いたことに、常に代替機を一緒に飛ばしていたらしいです。 つまりプライベートジェット2台です。 万が一故障した時に代替機に乗って移動するためとのこと。 GEは世界有数のグローバルカンパニーです。 そのCEOとなればプライベートジェットの使用は合理的かもしれません。 移動時間は極力削減して、重要な経営意思決定に専念することは株主利益に適うという論理はまあ通用するかな。 しかし、2台目の飛行機まで必要でしょうか。 そのコスト(燃料代など)を払う価値はあるのでしょうか。 何とも言えません。 あると言えばあるし、ないと言えばない。 こういうのも広い意味でプリンシパル・エージェント問題です。 もしGEの株主総会でCEOの出張にプライベートジェット機を2台使うことの是非を問うたら、相当数の株主が反対しそうです。 でも、こういう業務上の意思決定は株主総会決議事項じゃないので、実際に株主がそれを阻止することはできません。 経営者も感情ある人間です。 普通に欲望があります。 快適な生活が好きだし、自分が偉大なCEOだと誇示したい気持ちだってあるでしょう。 最近の日産カルロス・ゴーン事件も同じです。 典型的なプリンシパル・エージェント問題です。 プリンシパルは期待を寄せる側で自分は働かない(その代わり金を払う)。 エージェントは期待を受ける側で、その期待に応えるために一生懸命がんばる(その代わり金を貰う)。 報酬に基づく契約関係はあれど、プリンシパルとエージェントの利害はしばしば対立します。 エージェントとして生きるか、それともプリンシパルとして生きるか。 さて、なぜ突然プリンシパル・エージェント問題の話をしたのか。 それは、この問題は会社経営のみならず、人生にも大きくかかわる問題だからです。 という書籍の文章を紹介します。 社会が自分に望むことを選ぶのか、それとも自分が本当に欲しいものを選ぶのか。 自分がそれを選ぶのはなぜか、いつも自分ではっきりとわかっているわけではない。 自分がそれを求めるからか、社会がそれを期待するからか。 私たちは社会の期待を背負うエージェントなのか、それとも自分に正直なプリンシパルなのか? 『ハーバードのファイナンス授業』より 自分はエージェントなのか、それともプリンシパルなのか? どっちが良い悪いという話ではありません。 意識高い系の自己啓発本には、「エージェントではなく自分に正直なプリンシパルになれ!」という主旨のことが書かれてあることが多いと感じます。 換言すると、 ・敷かれたレールに乗るつまらない人生を送るな! ・自分のやりたいことだけをやろう ・好きなことで、生きていく ・他人を気にせず、自分に正直になろう などなど。 確かに自分自身が人生のプリンシパルになるという発想は、ありのままの素の自分で自由に楽しく生きるって感じがして素敵です。 ただ、エージェントの人生だって素敵です。 誰かの期待を背負い、その期待のエージェントとなる。 上司の期待に応えようと遅くまで資料を作成する。 お客さんの期待に沿えるよう必死でプレゼンする。 彼女を喜ばすためにディズニーランドデート作戦を考える。 子どもを楽しませるために、土曜のお昼に一緒にサッカーする。 これらはエージェントとしての生き方かなって思います。 エージェントとして生きるとは、他者の期待に応えることに時間を捧げるということです。 それは一見すると「自分」を捨てた生き方に見えるかもしれませんが、全くもってそんなことはないと思います。 人は誰かに必要とされた時に、生きがいを感じるのではないでしょうか。 誰かに承認されると嬉しくなります。 承認欲求ってカッコ悪いものじゃないです。 誰しもある普通の欲求です。 インスタ映えを求めて写真を撮る人が多いのも、そういう欲求を満たすためですよね。 プリンシパルの人生って、一見自由で楽しそうに見えるけど、意外としんどいかもなって思います。 誰かの期待を背負って、その期待に応えるために頑張るエージェントの人生の方が楽しいかもしれません。 いや楽しいというか、楽チンなんだよ、そっちの方が。 「人の期待に応える」という人生の目的が勝手に与えられるから。 プリンシパルは生きる目的を主体的に見つける必要があって、そこがしんどいところであると同時に、人によっては道楽になるところでもあります。 そもそも、社会で生きるためには大なり小なりエージェントとしての役割を担う必要があります。 生きるためには仕事をしてお金を稼ぐ必要がありますが、働くとは他者の期待に応えることに他なりませんから。 人生はある意味で、自分たちに期待されていることや与えられたことに抵抗し、自分自身を見つける旅なのだ。 プリンシパルとして自分が好きなことを見つける旅に出るのも良いけど、エージェントとして社会から期待されていることに全力で応え続ける人生も素敵だと思います。 まあ、結局どう生きるかなんて本人の自由ってことですね。 大人になったとき、どうやってプリンシパルになったらいいかがわからない。 朝決まった時間に起きて学校に行って授業を受け、午後は部活でサッカーして、夕方家に帰ってご飯食べて宿題やってゲームして寝る。 こういう型にはまった生活を幼少期から送っていたら、プリンシパルになるという発想すらなくなります。 プリンシパルになるのは勇気がいることです。 株式投資で成功して億万長者になってもサラリーマンを引退する願望はありません。 それはきっとエージェントという立場が気楽で、プリンシパルになるのが怖いからかな。 そう感じます。 でも何だかんだ言って、プリンシパルの人生の方が楽しいのかな。 人生で一度くらい、エージェントとしての役割を捨ててプリンシパルになってみたい。 きっと大野君もそう思ったに違いない。 嵐と言えば国民的人気アイドルグループ。 ファンクラブ会員数はジャニーズトップの241万人。 彼らが背負ってる期待は、一介のサラリーマンHiroの100万倍はあるでしょう。 これまでエージェントとして全力で頑張ってきた大野君。 エージェントからプリンシパルになるのは勇気が必要だったでしょうが、一度きりの人生だからこその決断だろうと思います。 人生にはエージェントでいたい時もあれば、プリンシパルになりたい時もあるもんです。 どっちか一つを選んだからって、もう片方を捨てなきゃいけないわけではありません。 プリンシパルの人生に飽きてきたら、またエージェントに戻るのだってありです。 これまでエージェントとしてファンの期待に応え続けてきた大野くん。 これからはプリンシパルとして、自分の人生を大いに楽しんで下さい。 あ~、僕もいつかはプリンシパルになろうかな~。 やっぱ今のままエージェントでいた方が楽かな。 どうだろうか、悩む。 こういうのは一度体験しないとわからないかな。 まあどっちにしろ、今はエージェントとして頑張る以外ないけど。

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