縄文人 弥生人 海外の反応。 中国人の地域ごとのDNAハプロタイプ一覧はこれ!日本人のルーツとの差は?

外国人「なぜ日本人は他のアジア人よりイケメンな民族なの?」→「名誉アーリア人だ」海外の反応

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日本人のY染色体ハプロタイプ、いわゆるD2(2014年以降はD1b)やO2bといった遺伝子情報にまつわる話題は、日本人のルーツを科学的に考えたい方にとって欠かせないものですね。 日本の研究者、知識人の間では、日本は多様な遺伝子系統がが入り乱れた国であるといわれています。 というサイトによると、現在の日本人のY遺伝子の分布状況は以下のようになっているそうです 東京 C1:1% :C3:2%、D2(D1b):40%、 O2b:26%、 O3:14% 徳島 C1:10% C3:3%:D2(D1b):36%: O2b:33% O3:21% 九州 C1:4% C3:8% D2(D1b):28% O2b:34% O3:24% 東京、徳島ではD2(D1b)が最大勢力で九州に行くとO2bが最大勢力であるという事です。 またいずれの地域もD2、O2b、O3で8割を占めています。 くわしくは「」) 一般的に、D2(D1b)は縄文人由来の遺伝子であると考えられていますね。 参照元である「縄文と古代文明を探求しよう!」では、中国、韓国の遺伝子についても以下のように取り上げています。 こちらも日本国内でよく目にする情報です。 日本では3つの主要な遺伝子系統が分散しているのに対して他の地域では多くて2つ、極端には1つの遺伝子に統合されています。 事例を紹介します。 以下は華北、台湾、朝鮮です。 華北 C3:5%、 O1:0%、 O2b:2%、 O3:66% 台湾 C3:1%、 O1:69%、 O2b:0%、 O3:7% 朝鮮 C3:11%、 O1:3%、 O2b:36%、 O3:38% ・・・(日本は)多様な遺伝子系統が並存する事のできた珍しい国である ・・・このような情報、論説は日本国内のあちこちで見ることができます。 私も中国語ができなかった頃は、中国人の遺伝子情報について、この日本人の間に広まっている華北、台湾、あとせいぜい雲南ぐらいのデータしか知りませんでした。 けれど、実際のところ中国の歴史はいろいろな民族がいりまじったものですよね。 そして中国が自国の国民の遺伝子を調査してないはずがありません。 以下のグラフは、中国国内で知られている各地のY-DNAハプロタイプ一覧です。 日本人のルーツに興味がある方にとっても、興味深いものではないかと思います。 baidu. 確かに華北はO3(黄色)の割合が多いですね。 そして最もO3の割合が少ない地域は江蘇省( 江苏)、そしてそれに含まれる上海地区です。 「」「で触れた、 過去の日本人がその子孫だと主張していたという文献がある、中国の古代国家、呉があったのも、その江蘇省周辺だとされていますね。 以下のようなニュースも存在します。 【1999年(平成11年)3月23日、中日共同調査団が発表、 「弥生人」の起源は江南地方か】 共同通信によると、日本に稲作を伝えたとされる渡来系弥生人の人骨と、長江(揚子江)下流域の江蘇省で発掘されたほぼ同時期の人骨の特徴がよく似ており、DNA分析で配列の一部が一致する個体もあることが、18日までの中日共同調査団の調査で分かった。 (略) 江蘇省の人骨三十六体からDNAを抽出し分析した結果、春秋時代の三体でDNAの塩基配列の一部が弥生人のものと一致したという。 html ・・・中国も日本に劣らず、多様な遺伝子が入り混じった国なんですね。 また台湾人のDNAも、上の表を見ると、日本に広まってる情報と違って、かなり多様なようです。 日本の割合と比較してみるのも面白いかもしれません。 関連記事 中国人の地域ごとのDNAハプロタイプ一覧はこれ!日本人のルーツとの差は?.

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弥生人DNAで明らかになった日本人と半島人の起源

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著者が提唱する「ヤポネシア(日本列島)への三段階渡来モデル」は、このようなものである。 第一段階は、約4万年前~約4400年前(ヤポネシアの旧石器時代から縄文時代の中期まで)である。 「第一波の渡来民が、ユーラシアのいろいろな地域からさまざまな年代に、日本列島の南部、中央部、北部の全体にわたってやってきた。 北から、千島列島、樺太島、朝鮮半島、東アジア中央部、台湾からというルートが考えられる。 ・・・主要な渡来人は、現在の東ユーラシアに住んでいる人々とは大きくDNAが異なる系統の人々だったが、彼らの起源はまだ謎である。 途中、採集狩猟段階にもかかわらず、1万6000年ほど前には縄文式土器の作製が始まり、歴史区分としては縄文時代が始まった。 しかしこのモデルでは、ヤポネシアに居住していた人間は旧石器時代から連続していたと仮定している」。 第二段階は、約4400年前~約3000年前(縄文時代の後期と晩期)である。 「日本列島の中央部に、第二の渡来民の波があった。 彼らの起源の地ははっきりしないが、朝鮮半島、遼東半島、山東半島にかこまれた沿岸域およびその周辺の『海の民』だった可能性がある。 彼らは漁労を主とした採集狩猟民だったのか、あるいは園耕民(農耕だけでなく、採集狩猟も生業としている人々)だったかもしれない。 以下に登場する第三段階の、農耕民である渡来人とは、第一段階の渡来人に比べると、ずっと遺伝的に近縁だった。 第二波渡来民の子孫は、日本列島の中央部の南部において、第一波渡来民の子孫と混血しながら、すこしずつ人口が増えていった。 一方、日本列島の中央部の北側地域と日本列島の北部および南部では、第二波の渡来民の影響はほとんどなかった」。 第三段階前半は、約3000年前~約1700年前(弥生時代)である。 「弥生時代にはいると、朝鮮半島を中心としたユーラシア大陸から、第二波渡来民と遺伝的に近いがすこし異なる第三波の渡来民が日本列島に到来し、水田稲作などの技術を導入した。 彼らとその子孫は、日本列島中央部の中心軸にもっぱら沿って東に居住域を拡大し、急速に人口が増えていった。 日本列島中央部中心軸の周辺では、第三波の渡来民およびその子孫との混血の程度がすくなく、第二波の渡来民のDNAがより濃く残っていった。 日本列島の南部(南西諸島)と北部(北海道以北)および中央部の北部では、第三波渡来民の影響はほとんどなかった」。 第三段階後半は、約1700年前~現在(古墳時代以降)である。 「第三波の渡来民が、ひきつづき朝鮮半島を中心としたユーラシア大陸から移住した。 日本列島中央部の政治の中止が九州北部から現在の近畿地方に移り、現在の上海周辺にあたる地域からも少数ながら渡来民が来るようになった。 それまで東北地方に居住していた第一波の渡来民の子孫は、古墳時代に大部分が北海道に移っていった。 その空白を埋めるようにして、第二波渡来民の子孫を中心とする人々が北上して東北地方に居住した。 日本列島南部では、グスク時代の前後に、おもに九州南部から、第二波渡来人のゲノムをおもに受け継いだヤマト人の集団が多数移住し、さらに江戸時代以降には第三波の渡来民系の人々もくわわって、現在のオキナワ人が形成された。 日本列島北部では、古墳時代から平安時代にかけて、北海道の北部に渡来したオホーツク文化人と第一波渡来民の子孫のあいだの遺伝的交流があり、アイヌ人が形成された。 江戸時代以降は、アイヌ人とヤマト人との混血が進んだ」。 日本列島人を大きく捉えると、北部のアイヌ人と南部のオキナワ人には、中央部のヤマト人と異なる共通性が残っており、この部分は、新・旧二つの渡来の波で日本列島人の成立を説明しようとした「二重構造モデル」と同一である。 著者のモデルが新しいのは、二重構造モデルで一つに考えられていた新しい渡来人を、第二段階と第三段階に分けたところだ。 この三段階渡来モデルは、著者らのDNA研究の結果から提案されたものだが、他の研究分野でも同じような考え方が提唱されている。 本書は、ここ10年足らずの間に急速に蓄積してきた新しい膨大な核ゲノム・データの解析結果に基づいているだけに、強い説得力がある。

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コーヒーと翻訳: 【海外の反応】縄文系日本人と弥生系日本人、どちらが好き?

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私が通っていた韓国の大学は、大田(テジョン)という日本人がほとんどいない地域にありました。 実はあまり知られていませんが、韓国には東南アジア人がとても多いです。 簡単にいうと、その大半は主に日本に来たかったけれども、これなかった人たちです。 そう、留学や労働目的でたくさんの東南アジア人が韓国に来ています。 特にフィリピン人。 また中国人。 ベトナム人なんかも多いんですよ? 私の大学で正規留学している人は私が知り得た情報では、私ともう一人の日本人女性だけでした。 私の大学は、小樽商業大学と提携しているらしく、日本人の交換留学生が何人か来てはいましたが、みなすぐに日本に戻る人たちでした。 つまり、この大田という街には日本人はほとんどいなく、大田に住んでいる韓国人も日本人がいるなんて意識すらしていないということです。 在学中、私は色々な交流会に積極的に参加しました。 英会話系の交流会に何度も足を運び、そこでいつも言われるのが、特に話したわけでもないのに、最初見たときになんとなく日本人とわかったという答えです。 それも、彼らがそれを私に伝えようとするときの言い方が、とても嬉しそうというか、自分の予想が的中して誇らしげに思っているような態度でした。 眉毛?目?骨格?ファッション?よくわかりませんが、自分自身も思う事。 それは、自分は韓国人にも見えないし、東南アジア人にも見えないということです。 ましてや中国人にもみえないということ。 日本に戻ってくると、同じ日本人に溶け込んでしまうせいか、自分の顔自体特別なものには思えないのですが、 なぜか中国や韓国に行くと、自分の顔は明らかに、中国や韓国の 平均とは違うと思ったりします。 また中韓に滞在するときは、それがとても心地いいです。 それゆえ中国語や朝鮮語を学ぶのが楽しかったのかもしれない。 もしかしたら、台湾人には似ているかも?これはよく言われることでもありますが。 また、高麗大学で韓国語を勉強していたとき、クラスメイトの中国人にマレーシア人っぽいと言われたことがありましたが、その同じクラスだったマレーシア人女性が私のことをマレーシア人っぽくない。 むしろ日本人っぽいと言ってきました。 (人によって見え方は目はなんと違うとことか・・・) ちなみに私の母は朝鮮系の顔。 新潟あたりから北海道に移住したようです。 母方の兄弟は小さいころ、朝鮮人みたいだからということで、いじめられたことがあると言っていました。 また対照的に 父方の兄弟はみな縄文系。 横井という家系で、尾張(愛知県あたり)から広がっていったらしいです。 父方は少し中東にいそうな顔をしています。 また父の兄はチベットなどにもいそうな顔。 父方も母方も本州から北海道に移住したので、私にはアイヌの血が入っていないと言われていますが、真相はわかりません。 私の場合、縄文系が60%、弥生系が40%だと思います。 また肌が部分的に色が違うというのも、大きくなってから意識するようになりました。 腰のあたりの色が体全体の色と明らかに違うのです。 これはよく韓国でスパに行ったとき、韓国人に指摘されました。 なぜ、その部分だけ少し色が違うの?と…。 とうのも、韓国にはいわゆる縄文系の人が少ないからです。 本当に少ないのです。 そして日本に詳しい韓国人は、そういう話をするのが好きです。 (韓国語のネットで話題になっているのでそれは明らか) なぜなら縄文系の人がいないからです。 以下は、私がめちゃくちゃ頑張って集めた韓国の濃い系イケメンの俳優ですが(ユーチューブに内容そのままパクられた…) やはり、縄文系のイケメンは街を歩いていただけでもかなり目立ちます。 こういうことから、韓国人は自分の国にない弥生系と縄文系の歴史を日本以上に知っているのではないか?とまで思うことさえあります。 特に日本に関心のある韓国人の間では…。 例えば、韓国人は今の日本人は朝鮮半島からきた朝鮮人と日本の原住民族の混血だと思っている節があります。 ですが、一方で日本人はほとんどそのことに対しては考えもしないのではないでしょうか?ただ日本人は1つの民族である。 という風に思い込んでいるようにも思います。 またはどうでもいいように思っているのかもしれません。 この意味でいえば、韓国人の方が、日本のことをよく知っているのかもしれません。 韓国に住んでいると明らかに私は外国人であると実感する。 私に似ている人もほとんどいない。 明らかに DNA の種類が違うのだと思ったりします。 それがまた心地よいのですが…。 それは外から見える情報だけではなく、人の匂いからも感じます。 私は嗅覚が半端なく鋭いので… 笑 以下は、弥生系の日本人と縄文系の日本人の本来の顔を再現したものです。 This image is from 北海道で生まれ育った私にとって、右の顔は頻繁に目にしたことがありますが、左の顔はほとんどみたことがありませんでした。 おそらく関西人は私と反対のことを言うと思いますが) ですが、韓国に何度も通って思ったのは、まさに左の顔は韓国にいけばそこらへんにいるような顔です。 下がった眉毛、少し吊った目、薄い色の唇、毛の薄さ。 また髪の毛がストレートなど、これは韓国人の平均的な特徴です。 一方、右の縄文人は、最近日本の原住民とも認識されつつあるアイヌ民族にいるような顔です。 アイヌにも様々な種類がいますが、この写真のように、 どこかアラブ人と共通するようなものがあり、私が思うには、東南アジアとの共通点は全くなく、どこかパキスタンやスリランカ、また中東などのアラブ国家と共通点があるように思います。 典型的な縄文人の特徴は、 髪の毛が癖毛、毛深い、鼻が割と広がっている、眉毛が濃い、目が二重で大きいなどです。 私が生まれ育った北海道の日高地方は、シャクシャインの戦いの舞台でもあり、また多くのアイヌが暮らしている地域。 近代になって本州から開拓に来たいわゆるアイヌではない倭人とアイヌの混血がたくさん住んでいるエリアです。 歴史をさかのぼってみると、 (英語版、日本の歴史から抜粋した地図) 日本の地図はこのように、大きく分けて大和と蝦夷(えみし)にわけられています。 私が関西に行くと、必ず弥生系の人が多いと思うのは、京都に長い間、天皇を中心とする日本の都があり、もともと日本にいた先住民である縄文人が関東や東北の方に追いやられていったからだと思います。 たしか、阿弖流為(アテルイ)なんていう東北の英雄も、蝦夷(えみし)でしたよね。 ちなみに東北には青い目の人や、灰色の目の人が多いということも、注目する点かもしれません。 また、その地域にどんなお祭りが残っているのか?というのを考えると、わかりやすいかもしれません。 また関西でも山奥に住んでいる人は少し特徴のある顔の人が多いと聞いたりもします。 (これは私の体験から語っているものではないので、少し検証が必要ですが…) 最近知ったこと。 それは青森のねぶた祭りは、その弥生系である坂上田村麻呂が縄文系の人たちをおびき寄せるために始まったお祭りだとも言われているという事。 つまり、そうして東北にも住んでいたとされるアイヌが北海道に追いやられたのかな?(推測) 歴史を簡単な推測だけで語るつもりはありませんが、私のおおざっぱな認識としてこのように書いているわけです。 ちなみに、アイヌには色々な種類の顔がありますが、代表的な写真はこれです。 この系統の顔は私の近所にもいます。 どこか、イランの大統領のような顔にも見える・・・。 アイヌは沖縄県に住んでいる原住民とは ハプログループ D1b Y染色体 を共に持っているという点で共通する部分も沢山ありますが、個人的にはあまり似ていないと思います。 アイヌ民族に関しては、1902年(明治35年)にポーランド人によって撮影された貴重な写真があり、こちらの記事で紹介しています。 ちなみにウィキペディアでは、著名人の中では、竹村健一、細川茂樹、堀江貴文さんなどが、 ハプログループ D1b Y染色体 だという。 上の写真を見ると、まるっきり一般の日本人とはかけ離れていますね。 ちなみに、アイヌという言葉は差別用語でもなんでもありません。 アイヌ語でアイヌは、人間という意味です。 一部のアイヌの人たちはこの言葉を嫌がるかもしれませんが、この言葉自体アイヌ語で人間の意味なのであり、 多くの人がこの意味の本質を理解するべきだと思います。 また世界的に見て、多様化は進んでいますし、どんどんこのような問題を発信していくべきではないのでしょうか? 日本の歴史の教科書ではみたことがないと思いますが、京都に長い間日本の都が置かれ、明らかに弥生人と縄文人は別々に暮らしていたのではないか?という風に最近思えてきました。 サンカ(山窩)という未だよく知られていない集団がもしかしたら縄文人だったのでは?と言われているというのも理由の一つにあります。 こういう話は、日本が好きな外国人が調べたがります。 日本ではあまり盛り上がらないのが残念。 外国語で日本の歴史を調べていると、過去に日本で差別されていた人たちの歴史なども詳しく書いてあったり、またフランス語でグーグル画像検索すると、日本語で検索してもみれないようなその差別の対象にあった人たちの写真をみることができます。 (実際に差別にあったのかはその時代に私が生きていたわけではないのでよくわかりませんが) 江戸時代はとても平和だったと言われていますが、その一方で差別にあっていた人たちもいるということを私は意識をしたことがなかった。 これはアメリカの白人と黒人のようなものではないか?と、最近思うようになってきています。 まさに、その差別の対象のほとんどが縄文人だったと思うのです。 (一概には言えませんが) ですが、黒船来航、そして戦後の西洋文化の流入により、日本では弥生人だけが優位だという社会が崩れていったように思います。 (これは私の勝手な推測) 特に、戦後のアイドルを見ると、石原裕次郎や、中森明菜なんかが縄文系の特色も備えた顔であるのに、人気ものだということ?もしかしたら、このようなブームを一部の上層部の人たちが作り上げたのでは?という勝手な妄想まででてきます。 例えばジャニーズのトキオというグループをみれば、いかにも意図的に縄文系を揃えているような気もします。 このような現象は、韓国ではほとんどみられないものだと思います。 日本は、弥生人と縄文人の融合がますます進んでいるような気がします。 例えば、皇太子殿下と、雅子さまはまさに対照的。 (個人的な意見です) まさに、愛子さまは、弥生と縄文のハーフであると言えると思います。 最近、日本ではハーフのタレントが多数活躍していていますが、たとえばローラなんかはもう国民的タレント。 日本人の誰もが認めるようなタレントになってしまっています。 これも韓国ではありえないと思います。 日本はより多様な顔立ちを好む傾向にあるのではないでしょうか?これはあくまでも、韓国で過ごしていた私が感じることです。 韓国ではハーフ系のタレントはそれほどもてはやされないと思います。 日本ではそれがどんどんなくなっている気がします。 この違いはどうしてなのでしょうか?といつも考えたりします。 おそらく、韓国や中国に比べて外国人のハーフタレントが活躍しやすい状況にあるのは、アメリカの文化の影響を強く受けているからというものもあると思うのですが、こういった多様な人種によって日本人が構成されているということに、あるのでは?と私は思っているのです。 日本には縄文人以外にも、いかにも白人?というような肌を持った人も結構いますが、そのような多様な人種構成がそれを可能にしていると思うのです。 私がよく思う事、それは日本はアジアの中のアメリカのような場所だという事。 (人種学的に)アメリカと違うところは、日本という国にその集まった複数の人種が融合していったということではないでしょうか?またこれは、日本好きのアメリカ人の友達もまったく同じように思っていると私に言ったことがあります。 日本にいると、色々な顔があるので何とも思わないかもしれませんが、中国や韓国に滞在していると、どれだけ日本人の顔の種類が多いのかに気づかされます。 それはやはり、日本列島の原住民であるとされている現在の典型的な東アジア人とは全く異なる人種である縄文系の人たちと、渡来人と言われている弥生系の人たち、またどこから来たのか不明な、一部の白人っぽい人たちが融合したというのが真実だからではないでしょうか? 以下、少しわかりやすいように写真も掲載してみました。 ここまで整った顔がたくさんいるわけではありませんが、こういう種類の顔って韓国には絶対にいません。 ほとんどいないです。 いたとしても、韓国では外国人扱いされるでしょう。 こういうタイプの顔は中国や韓国から日本に帰ってくるとき、空港に降り立った瞬間、視界に入ってきます。 なんでしょう?こういう顔ではないけれども、こういう DNA の人って日本にたくさんいます。 笑 私は神戸に二回住んだことがありますが、関西では関東に比べこういうアッサリした顔の人の割合が多いように感じました。 一方、阿部寛顔の人は北海道にたくさんいます。 笑 日本の有名人である阿部寛さんと羽生結弦さんを比べてみましたが、日本ではこれだけ同じ民族と言われながらも、違う人種であるということを認識していただけたのでは?と思っています。 個人的な見解からすると、これはヨーロッパで言えば、スウェーデンなどに住んでいる色白で金髪、ブルーの目の白人と、 イタリア南部に住んでいるやや黒褐色の癖毛、毛深いイタリア人くらいの違いがあるのでは?と思っているのです。 もっと、言えばそれ以上に違う人種であるかもしれません。 その為、日本では、この対照的な二人を合わせた中間の人たちが人気があるように思います。 また日本には、なぜかヨーロッパ系の DNA も少数ですが、存在していて、民族的にとても複雑?また多様であると思っています。 この記事は未完成であり、今後も追究して完成度をあげていきたいです。 また、一部の方から、こんな記事はさすがに書けないなどのコメントがありましたが、この記事自体特定の人を傷つける意図で書かれたものではなく、私の好奇心による真実の追求のための資料として保存したい。 ということはご理解いただけたら幸いです。 つまり、今の日本人が読んでいる弥生人というのには、二種類いるということです。 縄文人は骨を見る限り、あまり縄文人の間で差が見られないのに対して、弥生人の場合は、人骨の特徴が幅広いと言われています。 何を言いたいかというと、通常の日本人がイメージしている韓国人のような顔をした弥生人が、弥生時代に渡来して、それらが弥生人!と認識していると思うのだけれど、 縄文時代にも、韓国人のような顔をした弥生人というのがいたということが最近分かってきたのです。 つまり、ここで ・弥生人(縄文時代から日本列島にいた) ・渡来系弥生人(弥生時代以降に渡来してきた人たち) に分けることができるということがわかる。 というのも、弥生人は細長い顔をしたと言われているけれども、弥生時代より前の縄文時代にも、弥生人の特徴をした細長い顔をの骨が見つかったからなのです。 いずれにしても、これは歴史的な話なので、上の動画を見てもらうとその意味が分かると思います。 ウィキペディアの日本語版に書かれているの定義も、最近は細かくなってきているので、この説が最近は正しいと認知されているようです。 つまり、 ・弥生人、縄文人(日本でもともと仲良く暮らしていた) ・渡来系弥生人(弥生時代に入ってきた) とも言えそうですが、この辺の区別は、上の動画で判断してみてください。 かなり評価の高い動画で、コメントの中にもいろいろなヒントが隠されていると思います。 ちなみに、NHKの捏造写真というふうに紹介されていますが、なぜこのような疑いがあるのか?という話しの裏には、戦後の日教組(日本教職員組合)、つまり日本人は優秀ではなく、 稲作文化を持ってきたのは、弥生時代にやってきた弥生人なのだよ。 ということに繋がるというくだりになっていました。 けれども、最近は縄文時代にも、渡来系弥生人ではなく、もともといた日本の弥生人によって稲作が行われていた。 というのが定説のようです。 いずれにしても、最近こういう学説があるよ。 >>どこかアラブ人と共通するようなものがあり、私が思うには、東南アジアとの共通点は全くなく、どこかパキスタンやスリランカ、また中東などのアラブ国家と共通点があるように思います。 こんにちは。 その直感は正しいと思います。 日本人のご先祖様、縄文人は現生人類(クロマニョン)では最も早い時期にアフリカを旅立って東方に向かった人種と言われています。 約7万年前。 最初アラビア半島に移住しさらに東に移動しました。 この時、一部の縄文人の同胞がアラビア半島に残りました。 この同胞が4万5千年前ぐらいに地中海沿岸に移動します。 縄文人のY-DNAはD2と言われますが、この半島に残った同胞をあえてY-DNAでE系として区別しています。 元は縄文人ですけど。 このE系を持つ人種・民族が多いのは古代ユダヤ人を初め、中東人が多いのです。 シリア人、ベルベル人、トルコ人、驚きなのはギリシャ人にも多いのです。 あの勇猛なギリシャ神話に大和の血を引く人たちが関わっていたかもしれないと思うと、悠久のミステリアスな事実に心が飛翔しますね。 ちなみに同じ4万5千年前頃、縄文人は困難を乗り越えて中国揚子江河口流域にたどり着きます。 東アジアに到着した最初の人種です。 この時期、いわゆる中国人も朝鮮人もいません。 中国大陸の先住民は日本人だったというのも同様にミステリアスだと思います。 >例えば、皇太子殿下と、雅子さまはまさに対照的。 これについては、皇太子の顔立ちが典型的な弥生系チックなのは むしろ皇后・前皇后の影響が強いと思うのですが…。 明治・大正・昭和天皇までの顔立ちって、写真を並べて見ると ぶすっとした厚ぼったい唇・濃いめの眉・面長で通った鼻筋…と、 かなり特徴的な共通点があるように見受けられます。 それが、今上天皇では良子さまの、皇太子では美智子さまの 容貌を受け継いで様変わりした部分が大きいように思います。 (余談だけど…、前皇后の若い頃って、すごい能面顔! 無表情という意味ではなく 初めて見た時は「こんなにも『小面』そっくりな生身の人間が近代でも実在したんだ!」と軽く感動した。 ) 日本人の人類学的多様性について客観的に偏見なく書かれていて、非常に楽しく読ませていただきました。 私の家系は少なくとも4世代は 父方も母方も瀬戸内海沿岸部地方 広島、山口、愛媛 出身で、私含め家族揃って顔も身体も渡来系弥生人の特徴が極めて強いタイプです。 実際、私 男 が東日本の方に会った時は 黙ってると 結構中国人 時々韓国人 と間違われます。 しかし不思議なことに大阪圏の方からは間違われることが少ないです。 これもやはり、近畿 ~瀬戸内~北部九州 の渡来系の特徴が強い地域の人間と、逆に東日本など縄文系の特徴が強めな地域の人間では、それぞれが思う「日本人の顔立ち」が違うのではないかと考えられますね。 また渡来系の特徴が強い地域同士でも違いがあり、北九州~山口では面長・過短頭 絶壁 が顕著、近畿 特に畿内 では頬骨やエラの発達が顕著で、広島~岡山あたりは両方の特徴の混合ないしは打消 といった傾向が見られます。 西日本の元々渡来系が強い地域では、縄文系の強い他地域からの流入の影響を受けにくい場所ほど 渡来系の形質が守られている印象です。 東日本とは真逆 特に瀬戸内海沿岸部や山陰西部の田舎では、西南九州や東日本からの流入がほとんど無いので、現在でもほぼ純粋 に近い 渡来系の形質をもつ人が確認できます。 また他の方が言うように、渡来系弥生人の主なルーツは中国南東部であって 北方アジア人 現在の朝鮮半島人など とは異なるのは事実です。 しかしながら、特に朝鮮半島に近い山陰西部沿岸部 山口、島根など 、それに畿内 関西 では 日本人 在日外国人ではない でも明らかにツングース系や朝鮮半島系の顔立ちが時折見られることから、北方ルーツの者が 渡来系弥生人の一部に含まれていたか 或いは別の時期に何らかの形で渡来したと考えるのが自然ではないかと思います。 他地域 とりわけ東日本 の方には、現在でも山陰西部などに完全北方アジア系の顔立ちが存在している事実は あまり認知されていないと思います。 この辺りはまだ研究の余地がかなりありますね。 私の地元 広島県南西部 の人々もおおむね渡来系の特徴が強く、若者だと野球の中田翔のような系統の顔もよく見ます。 特徴としては、体毛 特に髭 が薄く、背が低く特に足が短い、蒙古襞が発達した切れ長な目、睫毛が短く少ない、鼻幅や口が小さい、歯並びは放物線型で上前歯が大きく鋏状咬合、エラは韓国人ほどではないが ある程度発達、頭形は短頭~過短頭 絶壁 傾向、頭髪は圧倒的に直毛が多い、などが多数見られます。 眉毛は濃いめも居ますが 形は曲線型で 目と眉は離れているものが多いです。 希に濃い顔立ちの方も居ますが それも東日本に多い縄文的な濃さとは違って 基本的な顔立ちは渡来系あるいは中華 中国南東部 系であることが多いです。 なので、テレビで見る顔 関東出身が多い と地元 瀬戸内 の顔にいつもギャップを感じるし、東日本の縄文系の強い地域に行くと 自分のような強い渡来系弥生人タイプが東では少数派であることがよく分かります。 いずれにせよ日本人は複数の異なる系統の集団が不完全に混血した大混血人種で、現在でも地域や集団による偏りが残っており、人類学的形質上でひとくくりにできないのは確かですね。 そうなのにも関わらず、多くの日本人が こういった話題に疎かったり無関心なのが寂しいです。 地域別の細かい形質を書きましたが、あくまで「そのような傾向が見られる」という話です。 特に近年では国内移動が増えており 例外も当然あります。 それに関する批判はお控え下さい。 とても面白く拝読させていただきました。 自分は佐賀出身の縄文顔です。 ちなみに妹は完全にフィリピン顔です。 彼女は香港料理屋を経営しているのですが、食べログのコメに店員は全員香港人と書いてありましたので 笑 客観的にも東南アジア感があるなと思います。 さて出身の佐賀には同じような顔の人がいっぱいいましたが、小さい頃に父の仕事の関係で東京に出てきたら、あんまり自分の顔に特徴があるとは思えませんでした。 東京は人種のるつぼみたいなものですので、これは弥生、あれは縄文、みたいな基準を取りにくいですかね。 90年代に縁があって沖縄で生活していたころは自分の顔があまりにもウチナー顔なのに驚きました。 そこら中に親戚がいる感じです。 沖縄の人に何度もウチナーかと間違われました。 違いますと一生懸命否定すればするほど東京で就職に失敗して戻ってきたウチナンチュみたいな扱いで困りましたね。 それで初めて自分のルーツというのに興味を持っていろいろ読んで面白かったのが柳田國男の海上の道です。 今はナンセンスな学説のようですが日本人にはミクロネシアから沖縄伝いに上がってきたDNAも混じっているなと妹の顔を見るたびに思います。 北方系、縄文系、弥生系、ミクロネシア系ですかね。 海上の道は情緒的で科学的根拠が希薄な感がありますが、古い神々や風俗などの観点から色々指摘されていて面白いです。

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