三方 よし 意味。 「三方よし」の精神

人生はマーケティング! 正しい「三方よし」の使い方 (1/2)

三方 よし 意味

廣池の三方よしの図式 カッコ内は近江商人の場合 「三方よし」の言葉の由来 「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」は、近江商人の経営理念として知られているが、この言葉が江戸期から明治期にかけて活躍した近江商人たちが使っていたものではないと言えば、意外に思われる方も多いであろう。 実際のところ、近江商人の経営理念としてこの言葉が初めて登場するのは、滋賀大学教授で近江商人の研究者として知られる小倉榮一郎氏が昭和63年(1988)に出版した『近江商人の経営』の中で「時代は下るが湖東商人の間で多く聞く」と短く記述している部分であり、それ以前の文献等には見当たらない。 その後、近江商人に対する社会的関心が強まる中でキャッチフレーズ的に急速に広がっていったものである。 一方、私が勤務する麗澤大学および公益財団法人モラロジー研究所の創立者である法学博士廣池千九郎(1866 -1938)は、すでに昭和の初期に「自分よし、相手よし、第三者よし」という形で「三方よし」という言葉を使用しており、廣池に師事した多くの人々の間に広がっていたことが確認されている。 廣池の教えを学んだ経営者の中には「三方よし」を経営理念とする者もおり、代表的な例としては、大手計量機器メーカーである(株)イシダ(京都市)が戦後まもなくのころから「三方良し」を経営理念として掲げている。 私は、廣池の教えを学んだ人々の間で使われていた「三方よし」という言葉に滋賀県内のどこかで小倉氏が出会い、それを近江商人の経営理念を端的に表す表現として援用したのではないかと推測し、その論証を『日本経営倫理学会誌』第19号(2012)に発表した。 廣池の考えと小倉氏との接点については残念ながら確認できていないが、状況的にはその可能性が高いと考えている。 ただし誤解を避けたいのは、近江商人の中には「三方よし」の考えに通じる優れた経営理念や事業活動が数多く見られることは間違いないということである。 ここで確認しておきたいのは、「三方よし」という表現自体が歴史的には存在していないという点であり、実際には近江商人の間では「陰徳善事」「自利利他」「利は余沢」などという他の素晴らしい言葉が数多く受け継がれてきた。 廣池千九郎(1866-1938)。 道徳の科学的研究としてモラロジー(道徳科学)を提唱し、昭和初期に「三方よし」の考えを広めた。 廣池千九郎の道徳経済一体思想「三方よし」との関係 廣池千九郎は、郷里である現在の大分県中津市で教員生活を送った後、歴史研究に志し、独学で研究を重ねた結果、東洋法制史という新しい学問分野を開拓し、大正元年(1912)東京帝国大学より法学博士号の学位を授与されるに至った。 その後大病をきっかけに道徳の科学的研究に転じ、新しい学問領域としての「モラロジー(道徳科学)」を提唱した。 その要諦は、一般的な道徳(普通道徳)では不十分・不完全であるとして、道徳実行における精神を重視した質の高い道徳を最高道徳と規定し、最高道徳を実践することによる品性完成の重要さを説いた。 そして品性の向上が、個人の幸福と社会の平和・繁栄の基礎であるとした。 廣池は、人間にとって道徳が精神生活における柱であり、経済が物質生活の柱であり、この両者は本来一体のものであり、また一体のものでなければならないとする道経一体思想を展開した。 この思想に基づいて、企業経営においては経営者の品性が何よりも重要であり、道徳性を重視した経営を行うことで永続的な企業の発展が可能になると説いている。 「三方よし」の考え方については、廣池に師事した多くの人々が回想録の中で廣池の教えとして「自分よし、相手よし、第三者よし」という形で「三方よし」を繰り返し取り上げていることから、廣池が昭和初期に道徳実践における重要な指針として頻繁に用いていたものと考えられる。 その要点は、道徳実行の際に直接の相手のことだけを考えて行動して、第三者に対する配慮を疎かにしてしまう傾向にあるため、自分・相手方・第三者の三方にとっての利益となることをよく考えて行動することが大切であるという点に置かれた。 相手との二者関係で道徳行為を捉えた場合に、見過ごされがちな第三者への配慮を強調するものである。 こうした考え方を端的に表しているのが、廣池の主著『道徳科学の論文』の中にある「最高道徳は自己・相手方及び第三者のいずれにも幸福を与うるを目的とする」という一節であるが、同書の中ではこのような三方に対する配慮の必要性がたびたび登場する。 経済活動においても「自利利他」という二者関係を超えた、社会を含めた第三者の利害に対する配慮が説かれている。 『道徳科学の論文』初版本(廣池千九郎著) 現代における「三方よし」の意義 「三方よし」の考え方を経済分野に適用したものとしては、『道徳科学の論文』における以下の記述が最も参考になると思われる。 「完全なる経済学および経済組織は、必ずや(一)自己、(二)使用人、(三)原料もしくは商品の仕入先、(四)販売先、(五)需用者、(六)一般社会(需用者の喜ぶことにても一般社会を害することあり。 故に需用者と一般社会との利害必ずしも一致せず)及び(七)以上全部を統制するところの国家に対して、その各方面がおのおの相当の利益を得る如くに組織されておらなくてはならぬのであります。 」 このように企業をとりまく多様な関係者の利益を尊重するという考え方は、現代の経営倫理の中心理論であるステークホルダー(利害関係者)理論に通じる考え方である。 欧米においてステークホルダー理論が本格的に登場するのが一九七〇年代以降であることからすれば、廣池はかなり早い時期にそれに近い発想を持っていたことになる。 廣池の「三方よし」における第三者には、直接の取引先以外の幅広いステークホルダーが含まれており、多様なステークホルダーに対する配慮を求めるものであるが、それは現代の文脈においては、顧客のみを過度に重視する経営に対する警鐘であると捉えられる。 現在、多くの企業が顧客満足度の向上を経営戦略の柱に据えている。 顧客満足度を高めることで売り上げを増進するという戦略は、「売って喜び、買って喜ぶ」の世界であって、一見するとよい経営のように思われるが、もしかりにそれが第三者の犠牲の上に成り立つとするならば、潜在的な問題を内包していることになる。 例えば顧客獲得のために、コストを切り詰めて価格の引き下げを図るという手段が日常的にとられている。 これは低廉な商品を求める消費者のニーズに応える企業努力であるとみなすこともできるが、往々にしてそのしわ寄せが従業員や下請け企業といった他の関係者に押し付けられるということが起きている。 いわゆる「ブラック企業」批判などはそれが表面化したものと言えよう。 またコストカットは、必要な環境対策や安全対策にかける必要不可欠な費用の削減にもつながりかねない。 こうした行動は結果として社会に害を及ぼす可能性があり、先の廣池の文章の中にある「需用者の喜ぶことにても一般社会を害することあり。 故に需用者と一般社会との利害必ずしも一致せず」という注は、まさにこうした状況に対する鋭い指摘である。 表面上は「お客様のために」としながらも、顧客満足を実際には自社の利益追求の手段としてしか考えていないというケースも当然ありうる。 顧客のみを優先して考える戦略は、短期的には顧客の獲得と利益の増加につながるかもしれないが、長期的にはいずれかの関係者に負担が偏ることによって、そこに歪みが生じる。 不満の増加や業務過多による手抜きなどが原因となって、品質の低下や思いがけない事故の発生といった潜在的なリスクを高めることになる。 現実にも、処遇に不満を持つ従業員による異物の混入や、下請企業の製品管理の不備による事故の発生といった事態が起きている。 こうした事態の発生によって生じる社会的信頼の喪失が生み出す不利益は、コストカットによって得られる利益とは比べ物にならないほど大きい。 いずれかに過剰な負荷がかかる経営体制が、問題の一因となっていることは間違いない。 「三方よし」の理念は、このような近視眼的な経営に対する警鐘として、現代においても重要な意味を持っている。 持続的経営の追求 創業から一〇〇年以上を超える日本企業の数は、諸外国と比べて圧倒的に多い。 これら老舗企業には、顧客や取引先、従業員、地域社会、国家といった多様なステークホルダーを大切にするという理念を家訓の形で継承しているものも少なくない。 実際の事業活動においても、自社の利益を追求するだけではなく、本業を通じて社会に貢献し、また商売で得た利益を地域社会などに還元することによって、多くのステークホルダーから社会的信頼を得ており、それが持続的経営を支えてきた。 いずれの企業も、社会情勢の変化などに伴う危機の時代に直面し、自己変革を通じて生き延びてきたという経験を多かれ少なかれ持っている。 そうした危機の克服においては、取引先や従業員、地域社会といったステークホルダーからの協力と支援が、大きなカギを握っていた。 そのような多方面からの支援が得られたのは、企業の経営理念と事業活動が社会から広く受け入れられ、支持されてきたからに他ならない。 言い換えれば社会的価値、CSV理論における共有価値を持続的に社会に提供し続けたことによって、その存在が認められ、存続することができたと考えられる。 「三方よし」の経営の要点は、多様なステークホルダーに対して調和のとれた配慮を意識することで、信頼に基づいた持続的な関係を築いていくことにある。 廣池は、短期的に急激な拡大を求める姿勢を戒め、永続的経営を「末広がり」の経営として表現して、その実現のための道徳的経営を強く主張した。 それは社会全体の調和を重視する考え方に基づくものであり、松下幸之助ら日本を代表する優れた経営者が説いてきた「企業は社会の公器」「共存共栄」という理念にも通じる。 このような長期的視点に立った調和的発展を重視する考え方は、マクロ的に見れば人類社会の持続的発展につながり、ミクロ的に見れば企業の持続的経営ということになる。 いずれの場合も永続性という価値をその根底において共有しているという点で、日本の伝統的価値観に根差すものであり、同時に世界に向けて発信するに値する理念であると考える。

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三方良しとは、現代的解釈をするとCSVの意味になる?

三方 よし 意味

概要 [ ] 近江全域から万遍なく商人が生まれたわけではなく、商人を多く輩出した地域には偏りがあり、また地域によって活動時期・進出地域・取り扱い品目などに違いがある。 高島商人 - など。 末期からにかけて、やに進出。 の形成・発展に大きく関わった。 八幡商人 -。 の城下町建設に際し、旧下や近在の商人が集まったのが始まり。 表やといった地場産業を育て商材とした。 早い時期からに進出し、また開拓にも携わった。 「八幡の大店」と呼ばれ、日本各地の主要都市で大型店経営に力を入れた。 日野商人 - 蒲生郡。 の城下町として中世から商工業で栄えていたが、蒲生氏の移封と断絶によって衰退し、特産品のやの行商に活路を見出したのが始まり。 のちを営む者も多く出た。 「日野の千両店」と呼ばれ、地方都市(特に北関東)に小型店を多数出店した。 湖東商人 - (・など)、、(・・など)。 江戸時代後期、の経済政策(生産の奨励と、農民による商業活動の許可)によって農民が農閑期にに回ったのが始まり。 産物廻し(都市部で仕入れた商品を地方に売り、その足で仕入れた地方の特産品を都市部で売る商法。 「商い」とも呼ばれる)を得意とした。 地域名については「」を参照。 やなどの主要街道が通る近江では、街道沿いに定期市やが早くから発生し、中世より商業活動が活発であった。 中世に活躍した商人集団には、を通って方面へ行商に出かけた(小幡 ・八坂 ・薩摩 ・田中江 ・高島南市 の5村)と、やを通ってのへ行商した(小幡・保内 ・沓掛 ・石塔 の4村。 を越えて商いを行ったため「山越商人」とも呼ばれる)が挙げられる。 とりわけ(領)を拠点とした保内商人の活動が近江商人の前駆となっている。 に入ると近江出身の商人は徐々に活動地域や事業を日本全国に拡大させ、中には貿易を行う者も現れた。 成立後は、・・の三都へ進出してや醸造業を営む者や、蝦夷地でとなる者もあった。 からにかけての混乱で没落する商人もあったが、のように社会の近代化に適応して存続・発展した企業も少なくない。 今日の大企業の中にも近江商人の系譜を引く会社は多い。 その商才をや同業者から妬まれ、伊勢商人とともに「近江泥棒伊勢乞食」と蔑まれたが、実際の近江商人はへの信仰が篤く、規律道徳や陰徳善事を重んずる者が多かった。 様々な規律道徳や行動哲学が生み出され、各商家ごとに家訓として代々伝えられた。 成功した近江商人が私財をにしたり、地域のにしたりした逸話も数多く残されている。 一方で、蝦夷地でを漁業に酷使し、のに「非道がある」と改善を命じられたのような例もあった。 当時世界最高水準のの考案(・日野商人) や、契約ホテルのはしりとも言える「大当番仲間」制度の創設(日野商人)、現在のの考えに近い出店・枝店の積極的な開設など、近江商人の商法は徹底した合理化によるだったと評価されている。 近江商人の思想・行動哲学 [ ]• 三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」 売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならない。 三方良しの理念が確認できる最古の史料は、1754年に神崎郡石場寺村(現在の五個荘石馬寺町)の中村治兵衛が書き残した家訓であるとされる。 これを伊藤忠商事創業者・が広めたという。 ただし、「三方よし」は後の研究者が分かりやすく標語化したものであり、以前に「三方よし」という用語は存在しなかった。 始末してきばる 「始末」とは無駄にせず倹約することを表すが、単なるケチではなくたとえ高くつくものであっても本当に良いものであれば長く使い、長期的視点で物事を考えること。 また「きばる」とは本気で取り組むこと。 利真於勤 利益はその任務に懸命に努力した結果に対する「おこぼれ」に過ぎないという考え方であり、営利至上主義の諫め。 陰徳善事 人知れず善い行いをすることを言い表したもの。 自己顕示や見返りを期待せず人のために尽くすこと。 近江商人の流れを汲む主な企業 [ ] 流通業 [ ]• 、、 (愛知郡出身のが創業)• (高島郡出身の商人の婿養子であるが創業。 社名は高島郡に由来)• (現在の出身の中村治郎兵衛が創業。 のグループ)• (創業者藤﨑治右衛門は日野出身との説がある)• (近江商人の血を引く出身の源衛門が創業)• (長浜出身のが創業。 1967年にに吸収)• (神崎郡出身の中江勝次郎が創業。 1945年の終戦とともに消滅) 商社 [ ]• ・(犬上郡出身のが創業)• (初代総理事は野洲郡出身、2代目は蒲生郡出身)• (母体となる 、とも、近江商人の流れを汲む)• (彦根出身のが中心となって創業)• (前身の一つである江商は、犬上郡出身の北川与一が創業)• (出身のが創業) 繊維関係 [ ]• (前身の一つであるは、滋賀県知事の勧奨から複数の近江商人が創業)• (出身神崎郡育ちのが創業。 社名は「江州に和す」に由来)• (八幡出身のが創業) その他 [ ]• (彦根出身のが初代社長。 グループ創始者は前述のに多くの支援を受けた)• (彦根出身のの呼びかけで創業)• (日野発祥の薬種仲買商である近江屋喜助からの)• (前身であるは、野洲郡出身のらが創業)• 西沢本店「」「」(ルーツが異なる同名の別企業であるが、どちらも滋賀県内で創業したのちへ移ったという共通点がある) 書籍 [ ]• 『近江商人列伝』。 サンライズ出版編『近江商人に学ぶ』 サンライズ出版。 『近江商人ものしり帖』 サンライズ出版。 映画 [ ]• - 脚本・・監督のビデオ映画。 ある近江のに生まれた少年が鍋蓋売りの労苦を通じて一人前の近江商人に成長するストーリー。 社員研修の教材となることが多い。 脚注 [ ]• 『図解日本の「三大」なんでも事典』76頁77頁• 、三方よし研究所、2016年7月9日閲覧。 、東近江市近江商人博物館・中路融人記念館、2016年7月9日閲覧。 、近江商人ゆかりの町連絡会、2016年7月9日閲覧。 、近江商人ゆかりの町連絡会、2016年7月9日閲覧。 、近江商人ゆかりの町連絡会、2016年7月9日閲覧。 現在の五個荘小幡町• 現在の八坂町• 現在の彦根市薩摩町• 現在の田中江町• 現在の田中• 現在の東近江市今堀町周辺• 現在の沓掛• 現在の東近江市石塔町• 、東近江市近江商人博物館・中路融人記念館、2016年7月9日閲覧。 『』朝刊2019年11月15日(文化面)2019年11月28日閲覧• 小倉栄一郎『江州中井家帳合の法』• 伊藤忠商事• 刊『』 関連項目 [ ] 地域・施設• 東近江市伝統的建造物群保存地区• 旧校舎 人物• - 近江商人の世界を描く小説で知られた作家。 - 「青い目の近江商人」と呼ばれたアメリカ人実業家、建築家。 - の創業者。 滋賀県出身であるため近江商人とされることがあるが、その商法などは一般的な近江商人像と異なっている。 - の商家出身の。 - 近江商人を多く輩出した商業学校を前身に持ち、現在も多くの企業家を輩出している。 - 近江商人を多く輩出したを前身に持ち、現在では近江商人史料研究の拠点となっている。 - 中井源三郎(日野)など複数の近江商人が創業に関わっている。 - 滋賀県産の牛肉が全国区になった背景の一つとして、近江商人による広報活動が挙げられる。 - 近江商人が伝えたとされるの。 - (彦根)が創始した。 外部リンク [ ]•

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近江商人の三方よしと商売十訓には究極の経営理念とマーケティングの真髄が書かれています

三方 よし 意味

スポンサーリンク 商売の心得「三方よし」で有名な近江商人とは? 江戸時代、近江の国(現在の滋賀県)から全国各地を行商して歩いた商人たちは「近江商人」と呼ばれていました。 その近江商人たちは次第に豪商として全国に名を轟かせていきました。 伊藤忠商事・高島屋・日本生命・西武グループ・ワコールなどは、近江商人をルーツにもつ企業だとか。 近江商人といえば「三方よし」という商売の心得えが有名です。 「三方よし」とは 「売り手よし・買い手よし・世間よし」のことを言います。 これは 「売り手だけではなく、買い手心の底から満足し、また社会の発展に貢献できるのが良い商売である」 という意味です。 「三方よし」は商売人には広く知られている商売の鉄則ですが、実は他にも近江商人の商売の心得があるのです。 それが次にご紹介する 近江商人の「商売の十教訓」というものです。 スポンサーリンク 近江商人の経営哲学「商売の十教訓」とは? 一、商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり 商売とは世の為、人の為に奉仕をすることである。 世の為、人の為に商売を行えば、利益は後からついてくる。 二、店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何 店の大小は問題ではない。 商売をする場所が良い悪いという問題でもない。 良い商品をお客さんに提供できれば商売は繁盛する。 三、売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる 「商品を売りさばければそれで良い。 後のことは知らない。 」というのでは繁盛しない。 商品を売った後にいかにお客さんにサービスを提供できるのかが大切である。 そうすればそのお客さんはリピーターになってまた商品を買ってくれるし、評判を広めてくれる。 四、資金の少なきを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし 資金の少ないことを嘆くことはない。 むしろお客さんへの信用が足りないことを嘆くべきである。 お客さんからの信用を得ることにまずは励むべきである。 五、無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ 商品を無理やり売りつけることはしてはいけない。 お客さんの「好むもの」を売るのも本当の商人ではない。 本当の商人とはお客さんの「為になるもの」を売るものである。 六、良きものを売るは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり 良い商品を売ることは善の行いと言える。 良い商品を多くの人たちに買ってもらう努力を重ねることは、それだけ世の中の為になることであるから良い行いといえる。 七、紙一枚でも景品はお客を喜ばせる、つけてあげるもののないとき笑顔を景品にせよ 紙一枚のサービスでもお客さんは喜んでくれるものである。 商品を買ってくれたお客さんには、何でもいいのでサービス品を提供すべきである。 提供できるサービス品が何もなければ、あなたの笑顔を分け与えなさい。 八、正札を守れ、値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ 「正直な値段」で一生懸命「正直な商売」をするのが商売繁盛のコツである。 不当な利益を得ようとすればお客さんは離れる。 しかし定価で売らず無理な値引きをするのは、いずれお客さんからの信頼が無くなるし、自らの商売が成り立たなくなるということを忘れてはいけない。 九、今日の損益を常に考えよ、今日の損益を明らかにしないでは、寝につかぬ習慣にせよ 常に損益のことを考え商売をするのが本当の商人である。 いい加減などんぶり勘定では末永く繁盛していくことはできない。 今日一日でどれだけの損益が出たかしっかり計算しないうちは夜寝てはいけない。 十、商売には好況、不況はない、いずれにしても儲けねばならぬ 「今は景気が悪いから物が売れない」というのは言い訳に過ぎない。 商売人とはどんなときでも色々な努力や工夫をして儲けを出していくものである。

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