どうもこうもならない。 どうもこうも

リカバリ中: タマのいななき

どうもこうもならない

初めてのイモ堀り 初めてのイモ堀り 3月、台所でどうもこうもならない程芽を出していたジャガイモがあったので、庭に埋めたみた。 どうせ食べられないほど芽が出ていたのだから惜しくはない。 切り口に灰を塗ってとか、乾かしてとか、めんどうな事はしないでそのまま埋めた。 そのまま台所にあったら捨てられる運命だったのだ。 腐ってもともとである。 埋めてしばらくしたら芽が出てきた。 本当はここで、元気のいい1本だけ残して、弱い芽はかきとってしまうのがセオリーなのだが「葉は多いほうがよかろう」と勝手に決め、そのまま剪定しないまま育てた。 4月までは順調だったのだが、5月になってニジュウヤホシテントウの食害にあい、葉がボロボロになった。 庭の花が植えてある部分には殺虫剤を蒔いているので、ジャガイモの所だけ蒔かなかったからといって無農薬なわけではないのだが、食われるままにしておいた。 6月になって、さすがにボロボロになった葉が枯れてみっともない状況になったので、掘ってみた。 土の中から出るわ出るわ。 ジャガイモはメークインという種類で、あまり数できないと聞いていたのに、売り物サイズが11個、その他小さいのが850グラムもできていた。 肥料もロクにやらないのに、水だけで大収穫である。 捨てる寸前の2個が11個に!。 増えたのもうれしいが、掘るのがおもしろい。 黒い土の中から、肌色のイモがコロコロ出てくる。 大のオトナがやってこんなに楽しいんだから、子供が喜ぶはずである。 10号鉢に2個(保険のため2個)埋めて、ベランダで育てても十分できそうだ。 掘るときにスコップが刺さって傷ついたジャガイモをすぐ食べてみた。 皮は金タワシで擦るときれいにとれた。 初めて食べる堀りたてのジャガイモはとてもおいしかった。 これに気をよくして、来年は6個位植えてみようか。 今度は肥料もちゃんとやって。 目次へ ガラクタ展2000年7月号へ.

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熱中症って

どうもこうもならない

尾田郷澄『』より「どうもこうも」 どうもこうもは、のに描かれている。 旧仮名づかいでは どふもこふも、 とうもかうも、 とうもこうもなどがある。 また 右も左も(どうもこうも) という表記も見られる。 概要 [ ] 1つの体に2つの頭を持つ姿で描かれている。 尾田郷澄『』 をはじめ、おなじく江戸時代に描かれた絵巻物『百物語化絵絵巻』() や『』 、所蔵の『化物尽絵巻』 、所蔵の『化物絵巻』などいくつもの作品におなじものが描かれている。 『化物絵巻』(国立歴史民俗博物館)では「右も左も」という漢字があてられている。 江戸時代の随筆『』に引かれているによる「化物絵」に描かれていたとされる妖怪の中には「とうもかうも」という名称が確認できる。 どのようなことをする妖怪であるのかは絵巻物にも示されていないため詳細は不明である。 昔話における「どうも と こうも」 [ ] 妖怪の「どうもこうも」との直接関係はないが、「どうもこうもならない」という言葉の由来になったとされるを結末にもつ、医者同士が自分の技量を競う内容の昔話がある。 妖怪の「どうもこうも」という名称の名づけの上で関係があったのではないかとも考えられており 、以降の妖怪に関する書籍では関連情報として引用されることが多い。 昔「どうも」と「こうも」という名前の2人のがおり、ともに自分こそ日本一の名医と自慢していた。 あるとき、2人はどちらが日本一の技量であるか勝負することになった。 まず2人が腕を切り落とし、それを繋いでみせた。 切った跡はまったく残らず、勝負はつかなかった。 続いて互いの首を切って繋ぐことになった。 あまりの大事に多くの見物人が集まる中、2人は代わりばんこに互いの首を切り落とし、元通りに繋ぎ合わせた。 やはり一向に勝負はつかない。 遂に2人は、代わりばんこではなく同時に首を切り、同時に繋ぐという勝負に出た。 合図と共に互いの首を切り落とした。 しかし2人同時に首を失ったので、繋ぐ者が誰もおらず2人とも死んでしまった。 このことから何も出来ないことを「どうもこうもならない」と言うようになった。 脚注 [ ] [].

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どうもこうも

どうもこうもならない

寒ければ、寒いほどいい。 寒い冬がちゃんとあることで、取り戻せるものがあるみたいだ。 辛ければ、辛いほどいい。 そう思ってみるけれど、 辛いとはこれっぽっちも思っていない。 どうもこうもならない状況に、重く塞がるような気分を味わっていたって、それが辛いだなんて、思っていない。 辛いとは、何だったろうか? 分かることは、いまみたいで良いと思うこと。 もっともっとこんな状況に置かれて良いと思っていること。 その裏返しとして、喜びがあることを知っている。 なんて、如何にも都合の良い、聞こえの良いことを思っている訳でもない。 それでも乗り越えるものがあることは嬉しいということと同じだとは思う。 簡単に過ぎるものは、欲しくはない。 要らないと思う。 そちらには行きたくない自分がいるよ。 どんなものにも当て嵌まらない。 心も当て嵌めない。 それだけで十分になれると、もう知っている。 雪の中で、福島の寒さを感じる。 もっともっと、寒いことを。 どんなこともやってきて良いと、改めて思い出すことができる。 年が明ける。 そんなことも、もうどうでもよいことでしかない。 カテゴリー• 169 アーカイブ• 4 最近のコメント•

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