大江の山の歌 現代語訳。 ちょっと差がつく百人一首講座

☆十訓抄「大江山(小式部内侍)」原文と現代語訳と解釈: 『大学受験古文』

大江の山の歌 現代語訳

ふじわらのさだより が小式部内侍の局のほうにやってきて、「歌はどうなさいましたか」、「丹後へ使者を送ったのでしょうか」、「使者が帰ってくるかどうか、どれほど心配でいらっしゃるでしょうね」、などとふざけながら立っていたのを、ひきとどめて、よんだ歌。 大江山を越え、生野を通って行く道のりが遠いので、母の和泉式部がいる天橋立へ行ったことはまだありませんし、母からの手紙をまだ見ておりません。 音が同じことを利用して、二つの意味を表すこと。 「いくの」が「行く」と「生野」を掛け、「ふみ」が「踏み」と「文(手紙)」を掛けます。 終止形のところが切れ目となる場合が多いです。 和歌を体言(名詞)でしめくくることを体言止めと言います。 「天橋立」という体言(名詞)でしめくくられています。 それぞれの意味は文脈によって判断します。 「遠ければ」は「遠いので」の意味を表します。 が小式部内侍の局のほうにやってきて、「歌はどうなさいましたか」、「丹後へ使者を送ったのでしょうか」、「使者が帰ってくるかどうか、どれほど心配でいらっしゃるでしょうね」、などとふざけながら立っていたのを、ひきとどめて、よんだ歌。 おほえやま【大江山】 京都市西京区大枝(おおえ)。 したがって大枝山とも書く。 今も山を越えて亀岡市に入る山陰街道に大江の関址がある。 『万葉集』巻十二の「丹波道(たにはぢ)の大江の山のさねかづら絶えむの心わが思はなくに」は、ここをいうのであろう。 いっぽう、小式部内侍の有名な歌「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(金葉集・雑上、百人一首)になると、丹波への道にあたるこの大江山を越えて生野(今の福知山市)へ行くとも解せるし、福知山市の北にある大江町の、あの酒呑(しゅてん)童子で有名な丹波の大江山と解することもできるのである。 丹波国の歌枕。 今の京都市福知山市生野。 「別れにし程に消えにし魂のしばしいくのの野辺に宿れる」(元真集)や「君にわがあはでいくのの幾度(いくたび)か草葉の露に袖ぬらすらん」(風情集)など「生き」「行く」「幾」を掛詞にしてよむことが多かった。 『百人一首』にも採られて有名な小式部内侍の歌「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(金葉集・雑上)は「行く」と掛詞にして、山城国と丹波国の国境の大江山をはるばる越えて行く地としてよんでいるが、以後もこの歌を意識して「大江山」の地名とともによみ込まれることが多かった。 「大江山こえて生野の末遠み道ある世にもあひにけるかな」(新古今集・賀・範兼)はその例である。 ) あまのはしだて【天の橋立】 「橋立」という形でもよまれた。 丹後国の歌枕。 今の京都府宮津市。 小式部内侍の「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(金葉集・雑上、百人一首)が有名であるが、「音に聞く天の橋立たてたてておよばぬ恋も我はするかな」(伊勢集)のように古来丹後の代表的名所であった。 (後略) 百人一首の現代語訳と文法解説はこちらで確認 こちらは小倉百人一首の現代語訳一覧です。 それぞれの歌の解説ページに移動することもできます。

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十訓抄「大江山」原文と現代語訳・解説・問題|鎌倉時代の説話集

大江の山の歌 現代語訳

その時に、 【二】<代作は届いたかとの定頼の揶揄> 定頼の中納言たはぶれて、小式部内侍ありけるに、 「 丹後へ遣はしける人は参りたりや。 いかに 心もとなく思すらむ。 」と言ひて、局の前を過ぎられ けるを、 =定頼中納言がふざけ(からかっ)て、小式部内侍が 局(私室)にいた時に「丹後国へ遣わした人は京都 に帰って参りましたか。 さぞかし待ち遠しくお思い になっていることでしょう」と言って、小式部内侍 のいる局の前を通り過ぎなさったところ、 【三】<小式部が返事に詠んだ即興の見事な歌> 御簾より半らばかり出でて、わづかに直衣の袖を控へ て =小式部内侍は、御簾から半分ほど体を乗り出して、 少し定頼の直衣の袖を引き止めて 大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立 =大江山を越え、生野を通って行く(丹後への)道が 遠いので、まだその先の天の橋立に足を踏み入れた ことはなく、母からの手紙も見てはいません と詠みかけけり。 =と詠みかけ(て返歌を求め)た。 思はずに、あさましくて、「こはいかに、かかるやう やはある」とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引 き放ちて逃げられけり。 =定頼は、意外な事で驚き呆れて、「これはどうした ことか、このようなことがあるものか、いやある筈 がない」とだけ言って、返歌を詠むことも出来ず、 袖を引っ張り放してお逃げになったと言う。 【四】<評判が広がった小式部内侍> 小式部、これより、歌詠みの世におぼえ出で来にけり。 =小式部内侍は、この一件以来歌詠みの世界で評判が 広がることになった。 京都から山陰道を下る時、必ず通る山城と丹波の 国境にあり、交通・軍事の要所・歌枕の地。 平安初期以来、貴族の間に流行。 平安後期 には歌人の実力を争う場となった。

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古典解説「小式部の大江山の歌」~気に食わない上司の撃退法~

大江の山の歌 現代語訳

その時に、 【二】<代作は届いたかとの定頼の揶揄> 定頼の中納言たはぶれて、小式部内侍ありけるに、 「 丹後へ遣はしける人は参りたりや。 いかに 心もとなく思すらむ。 」と言ひて、局の前を過ぎられ けるを、 =定頼中納言がふざけ(からかっ)て、小式部内侍が 局(私室)にいた時に「丹後国へ遣わした人は京都 に帰って参りましたか。 さぞかし待ち遠しくお思い になっていることでしょう」と言って、小式部内侍 のいる局の前を通り過ぎなさったところ、 【三】<小式部が返事に詠んだ即興の見事な歌> 御簾より半らばかり出でて、わづかに直衣の袖を控へ て =小式部内侍は、御簾から半分ほど体を乗り出して、 少し定頼の直衣の袖を引き止めて 大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立 =大江山を越え、生野を通って行く(丹後への)道が 遠いので、まだその先の天の橋立に足を踏み入れた ことはなく、母からの手紙も見てはいません と詠みかけけり。 =と詠みかけ(て返歌を求め)た。 思はずに、あさましくて、「こはいかに、かかるやう やはある」とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引 き放ちて逃げられけり。 =定頼は、意外な事で驚き呆れて、「これはどうした ことか、このようなことがあるものか、いやある筈 がない」とだけ言って、返歌を詠むことも出来ず、 袖を引っ張り放してお逃げになったと言う。 【四】<評判が広がった小式部内侍> 小式部、これより、歌詠みの世におぼえ出で来にけり。 =小式部内侍は、この一件以来歌詠みの世界で評判が 広がることになった。 京都から山陰道を下る時、必ず通る山城と丹波の 国境にあり、交通・軍事の要所・歌枕の地。 平安初期以来、貴族の間に流行。 平安後期 には歌人の実力を争う場となった。

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